仕事のこと、田んぼのこと。そして。
女神みたいにふわりと現れたひとがいて、
そのとき見つけたこぼれ種のカモミール。
踏まないように、さりげなくさささっと石を並べてくれました。
不思議とその日、その方にはカモミールがぴったりきて、去年積んで乾燥していたカモミールのお花に癒されてそのひとは帰って行かれました。
お客さんとの時間は、そんなことがほとんどで、
カットも、ハーブの調合も、会話も、、
わたしが仕事をしているようで、わたしの仕事ではないような。。ただありがたい。。
というかんじ。
髪を切るひとと、切られるひととの関係。
その関係の中で、ようやくわたしが望んでいた、人と人の対話ができてるようなきがして、とっても幸せで。
不器用でいろんな感情をくっつけて生きてるわたしが、そこではただの光と光になって、その時生まれる響きをただ感じていられる。
わたしにとって、髪を切るお仕事とは、そんな時間だったのでした。
その感覚が、今、この小さいお店の空間を抜け出して、じんわりとわたしのからだに行き渡っている。
ただの日常の中に今やっと溶け込んでいくのを感じています。
旦那さんのしている田んぼ。
ただ今、田植えの準備、苗建てがドキドキしながら始まっています。
わたしにとって、一番身近な存在の旦那さん。
出会ってかれこれ20年近くなるので、この人のいろんな姿を見てきたのだけれど。
知らなかった。。!
この人がいつもすぐぷりぷり怒っていることを!!全然きづいていなかった。。
だのに今まで、優しくて全然怒らない人だわー!と思ってきたのですww20年くらい😆
優しくて怒らない人だというのがベースにあったもんで、たまになんて酷い人なんだ、ぴえーん😢
ともなっていて、そのやさしさと冷酷さとがわたしの中で繋がらず、それはもう得体の知れない宇宙人の様にすら見えていたのですww
なんてこったー。人はこんなにも長い間、勘違いをしていられるものなのか。。
もちろんやさしいことに変わりはなく、そのおかげで、こんなわたしがこんなにも自由に生きれているのだけれども。
だけども、この何か月かの間で、だんだんと見えてきた。
この人はかなりの怒りん坊さんなんだ❗️という事実が!
わたしの中の変化なのか、旦那さんも素直にガス抜きできるようになってきたのか、
たぶん両方なのだけど。
今日もぷりぷりしてる。
ぷり、くらいの時もある笑
何かにぷりっとしながら、米ぬかを巻く姿。
米ぬかをひたすら米袋に詰めている所。
ひとり作業が好きなもよう。
思考もからだも、機械みたいなところがあって、ゴリ押しで突き進んでいくこの姿見てると、ターミネーター2のシュワルツネッガーに見えてきた。
やさしさと人の愛を知ってるええもんの方のシュワちゃん。
この山に引っ越して来る前、家の小さな庭で畳二畳くらいの田んぼを始めてみたのが、今から6年くらい前。
そこから一年一年、ちょっとずつ失敗と経験を重ねながら、人の暖かさにささえられて、
今、5〜6反の田んぼをお借りして(ひとりでやるにはかなり広い)
使える機械は使わせてもらって(トラクターや田植え機、機械とうまくシンクロしてるとき、光ってる!)
だけど天日干しの作業は欠かせない。
農薬、除草剤、肥料は使わない(今年は米ぬかまいてみている)
だっておいしいから。
という、この人ならではの独特のバランス感覚で、今現在のやり方に至っています。
(とーっても簡単に簡潔に表すとそんな感じで、もーっと繊細にいろんなこと感じながら日々の細かな選択がたくさんありながらやってると思います。そのあたりは↑のリンクのnoteにて少しずつ書いていくようなので、田んぼに興味もっていただける方は是非こちらも読んでみてください)
だけど毎年、天候や夏の暑さや雑草、獣害に心折れながら、自分には愛がないのか。。と、自問してきた。それでも米はおいしいし、今年もこうして何かにつき動かされてやっている。
なんでそうしてるのかももう、いまいちわからなくもなりながら。。
だけどなんでか分からないけど、自分の楽しさとのバランスを探りながら何かがうっすら見える方向へと向かってる。
その感覚と行動、それがもう愛そのものだわ!と思う。
怒っててええよ。と思えば、しばらく経つとお互い何かがすーっと抜けていく。。
ぷりぷり怒りん坊でゴリゴリの機械みたいな繊細さとやさしさ、、
白も黒もグレーもそのまた中間も、全部が合わさり変化し続けるその光の存在を、へぇー。と近くで感じながら。わたしも自由に混ざり合いながら。
稲の成長にげんきをもらっています。
米ってすげー。種ってすごー。稲、強ぇ〜!
おいしいお米食べたい。
0コメント